【京都・知恩院】 御朱印めぐり|ダイナミックな国宝建築に出会う参拝記

御朱印集め

今回は、京都にある「知恩院」を参拝し、御朱印をいただいてきました。
知恩院の正式名称は「華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)」
浄土宗の大本山として知られる、歴史あるお寺です。

境内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのが圧倒的なスケールの「三門」
そのほかにも「御影堂」をはじめ、国宝や重要文化財に指定された建物が数多く並び、どこを見てもダイナミックで見応えがあります。

長い歴史の中では、戦乱や火災といった幾多の困難を乗り越えてきた知恩院。
歴代天皇や徳川家康など、名だたる歴史上の人物たちの庇護を受けながら、現在の壮大な伽藍が受け継がれてきたと思うと、まさに歴史スペクタクルを感じます。

この記事では、御朱印の情報を中心に、知恩院の歴史や見どころもあわせてご紹介していきます。

知恩院の御朱印紹介

知恩院では通常4種類の御朱印をいただくことができます。

・御朱印の種類:通常4種類(直書き・書き置きどちらも対応)
・御朱印料金 :各300円
 ※令和8年4月1日より料金が500円に価格改定されます。
・授与時間  :9:00~16:00
・授与場所  :三門をくぐり、目の前の階段を登った先の小さい建屋でいただけます。

法然上人(ほうねんしょうにん)の御朱印

浄土宗の開祖で、「南無阿弥陀仏」と唱えるとすべての人が救われるという専修念仏(せんじゅねんぶつ)を説いた人です。

知恩院の御詠歌(ごえいか)の御朱印

「草も木も 枯れたる野辺に ただひとり 松のみ残る 弥陀の本願」
意味としては、
 「草も木も枯れてしまった野にあっても松が緑を失わないように、このすさんだ世の中でも阿弥陀様の教えだけはいつまでもなくなることはありません。」 

阿弥陀如来の御朱印

阿弥陀如来は、西方にある極楽浄土の仏で、人々すべてを救うとされています。

勢至菩薩(せいしぼさつ)の御朱印

勢至堂のご本尊が「勢至菩薩」です。
また、勢至堂は知恩院最古の建造物だそうです。

御朱印授与所

御朱印はこちらの建屋でいただけます。

知恩院の歴史と見どころ

知恩院の歴史は、1175年に浄土宗の開祖・法然上人が、京都・東山の吉水に草庵を結んだことから始まります。
法然上人はここで「南無阿弥陀仏」と唱える専修念仏の教えを広め、多くの人々の信仰を集めました。

晩年もこの地で過ごし、1212年に亡くなりました。
そのため吉水の地は、法然上人ゆかりの聖地として大切にされるようになります。

★三門(国宝)

法然上人の没後、弟子の源智(げんち)によって廟堂や堂宇が整えられ、「知恩院大谷寺」と名付けられました。
さらに四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を賜り、知恩院は公的にも重要な寺院として位置づけられていきます。

応仁の乱では伽藍が焼失するという大きな被害を受けましたが、法然上人像や寺宝を守り抜き、再興への道をつなぎました。
その後も火災などに見舞われながら、知恩院は幾度となく再建を繰り返していきます。

阿弥陀堂

江戸時代に入ると、浄土宗を信仰していた徳川家康が、知恩院を永代菩提所(永続的に供養される菩提寺)と定めます。
家康の意思は秀忠、家光へと受け継がれ、三門をはじめとする大規模な造営が進められました。

現在も残る壮大な三門は1621年に完成し、17世紀半ばには、今につながる知恩院の大伽藍がほぼ整えられています。

経蔵(重要文化財)

火災による焼失と再建を経ながらも、知恩院は浄土宗の中心寺院としての役割を守り続けてきました。
現在は「華頂山知恩教院大谷寺」として、浄土宗総本山に位置づけられ、多くの参拝者が訪れる京都を代表する名刹となっています。

御影堂(国宝)

★ご注意
「勢至堂(重要文化財)」は保存修理工事中のため令和12年10月31日(予定)まで参拝できません。

知恩院の行き方

■住所:〒605-0062 京都府京都市東山区林下町400

🚃電車でのアクセス

・地下鉄東西線「東山駅」から徒歩約8分。

🚌バスでのアクセス

・京都駅から市バス206系統(約23分)→知恩院前(徒歩5分)

今日のランチ

知恩院の三門から出て少し歩いたところで「cafe KARIN」さんを見つけました。

ネーミングに惹かれて「お寺deランチ(1,360円)」をいただきました。
小腹が空いている私にはちょうど良いサイズ。
薄味かと思いきや、結構しっかり味がついているので。おいしくいただきました(._.)オジギ

がっつり食べたい人はカレーなどもあるので、知恩院参拝後に行ってみてはいかがでしょう♪

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